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【プレーヤーズプロフィール】#1 土屋アリスター時生選手



いつも西宮ストークスへのご声援ありがとうございます!
ついに開幕した2018-19シーズン。ストークスにとっては、B1を目指して再スタートするシーズンになります。

ストークスでは、共に戦う選手たちをもっと!もっと!みなさんに知って頂き、毎試合熱く応援して頂きたいという思いから、本連載をスタートします!第1回は、西宮出身、次代を担うスター候補、土屋アリスター時生選手です!

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3歳から西宮で育った生粋の「宮っ子」
本気で目指すは2020年東京オリンピックの日本代表
#47土屋アリスター時生


198cmの長身ながら、走力もあるセンター・プレーヤーと期待され大学時代に特別指定選手として入団。昨季後半から目覚ましい成長を見せる土屋アリスター時生は、西宮で3シーズン目を迎えた。
スコットランドで生まれ、3歳からずっと西宮で育った生粋の「宮っ子」は、今、本気で西宮からオリンピックの舞台に立つことを目指している。

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スコットランドで生まれ、
3歳から西宮で育った生粋の「宮っ子」


 僕はスコットランド人の父と日本人の母のもと、スコットランドのエディンバラで生まれ、3歳のときに西宮に移り住みました。スコットランドでの記憶はまったくなくて、自分の中にある一番古い記憶は、当時住んでいた西宮の家なんです。安井幼稚園、浜脇小学校、浜脇中学校と、ずっと西宮で育ってきました。

 小さいころから外で遊んでばかりいる、活発な子どもでしたよ。小学生のころの主な遊び場は、阪神・西宮駅の少し西にある産所公園。学校が終わると家にカバンを置いて、同じマンションに住んでいた同級生の友だちと、よく遊びに行っていました。ほかの小学校の知らないコたちもいましたが、僕から声をかけて手打ち野球とかドッジボール、タッチかくれんぼなんかをやっていましたね。

 子どものころの懐かしい思い出のひとつは、よく家族で行っていた「金ちゃん餃子」。普通の街の中華料理屋さんなんですが、そこの水餃子がすごく美味しかった。ご主人が中国に帰るとかで店を閉められて、もう食べられないのが残念です。駅前の商店街にあるお店は昔から顔なじみのところが多くて、「安田文具店」さんはクラブのサポートショップとして応援してくれています。「BLAST.」という美容院には小学生のころから通っています、今も商店街を歩いていると、いろいろと声をかけてもらったりして、うれしいですね。

ダンスに美術、音楽、小説執筆etc
多彩な才能の持ち主


 高校は神戸の葺合高校に進学しました。葺合高校は国際科という学科があって、帰国子女や留学生、僕みたいなハーフや、もちろん純然たる日本人もいました。僕はそのことで嫌な思いをしたことはないですし、周りも普通に接してくれていましたが、子どものころはハーフということで、ちょっと違う存在だと思われていると感じているところがありました。

 でも高校に進んだら、周りは多国籍かつ個性豊かな人間たちの集まり。いろいろと刺激を受けましたし、自分の世界が一気に広がりました。当時は音楽や芸術系が得意な友だちがいて、僕も影響を受けてダンスをやったりしていました。いろいろな技を独学で知っていてみんなに指導したりしていましたね。

 僕自身も昔から模型や陶芸などの物作りや、美術が得意でした。小説を書いたりもします。美術館巡りも好きですね。高校で過ごした3年間は、自分のなかにあるそういう資質に、大いに刺激を与えてくれました。

 高校に入ったらモデルになりたいなと漠然と思っていたり、以前からファッションに興味があったんです。なので大学は、そのことを研究できる大阪教育大学の芸術専攻芸術学コースに進みました。途中からは映画やアニメに興味が移って、卒論のテーマは「宮崎駿の雲」でした。大学1回生の時、ギターを弾く友だちに誘われて、僕が歌を歌うユニットを組んで、音楽コンテストに出たこともあります。結果は相方が緊張しまくって、ボロボロでしたけど(苦笑)。


西宮からオリンピックへ
それが今の僕が目指す道


 バスケットボールは浜脇小4年で始めて、浜脇中時代は西宮市を東西に分けた選抜チームのひとつに選ばれました。そんな経験は初めてだったので、うれしかったですね。

 高校のバスケ部はそれほどレベルが高くはなかったんですけど、強豪校で指導していた末松先生が来られて、ガラッと雰囲気が変わりました。頭を使ってプレーすることを教えてもらって、県ベスト16にまで勝ち進むチームになったんです。僕は小さいときから背が高かったので、中学までは簡単にプレーできていました。高校に進んで周りのレベルが高くなって、そうもいかなくなっていたころに、考えてプレーをすることの大事さに気付かせてもらって、バスケの面白さに目覚めました。今振り返ると、あの経験は僕の大きな礎になっています。

 と言いつつ大学に行って、最初はバスケ以外に他にやりたいことや勉強したいことができたし、将来の仕事に繋がることを見据えていたので、バスケ自体はサークルでいいかと思っていたんです。ところが一度サークルに体験参加した時にレベルの差を感じて、体育会系のバスケ部の方へ体験に行ったら、すぐに僕用のサイズのユニフォームが用意されて、逃げられなくなりました(苦笑)

 西宮ストークスに入団して、今季が3シーズン目。大学に籍を置きながら特別指定選手でプレーしていた過去2季は、どこかで自分の今後を考えて心配していたところがあったと思います。だけど今はもう、バスケだけに打ち込んでもいい環境になった。それならばと今、心に決めているのは2020年の東京オリンピックで日本代表入りすることです。自分のなかで憧れではなく、具体的な目標として捉えています。

 それに僕には弟がいて、今、高校でバスケをやっているんです。もし僕が途中でやめたり挫折したら、弟が見るべき背中がなくなる。そのことも、今の僕をバスケに向かわせている動機のひとつです。いつか兄弟で西宮でプレーできたら。そう願っています。

 通りや曲がり角、街の風景など、馴染み深いところばかり。西宮にいればどこにいても、自分の家のような感覚になります。ここで育った「宮っ子」の誇りを胸に、オリンピックの舞台に立つことを本気で目指していきます。(了)

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今週末は、土屋選手の地元、西宮市民応援デー!

▼申込フォームはこちら
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